長命寺
宗 派 | 真宗大谷派 極楽山 聴衆院 長命寺 |
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本 尊 | 阿弥陀如来 |
開 基 | 鎌倉時代 (承久2年4月/西暦1220年) |
所在地 | 千葉県野田市上花輪1358 |
長命寺は、鎌倉時代(承久2年/1220年)に浄土真宗の開祖・親鸞聖人の弟子である西念によって「西念寺」として創建されました。西念はその後108歳という驚異的な長寿を全うしたことから、「長命寺」と改められたと伝えられています。
法然の弟子であった親鸞聖人は、時の権力者から念仏禁止によって流罪となり新潟に流され、その後許されて信州を経て、十数年間茨城県南部地方で暮らしました。その間に浄土真宗を開き、多くの門弟ができました。西念もその一人です。
西念の妹が野田の神主 高梨氏に嫁いでいた関係で、西念と一緒にこの地を訪れた親鸞聖人は、西念に「西念寺」を建立させ、その教えを広めました。
長命寺にはかつて親鸞聖人の手によると云われる木像と聖徳太子像がありました。2つの像は寺が一時移転した際に木像は吉川市の寺に、聖徳太子像は坂東市の寺に預けられました。木像は現在も吉川市のある寺に保管されています。
もうひとつの聖徳太子像は、1801年に建てられた長命寺境内の太子堂に奉られています。この像は親鸞聖人が聖徳太子を「和国之教主」と特に尊敬していたことから西念の長命寺に贈ったと伝えられています。
当時、聖徳太子は「八職の神」として大工や左官などの職人から人気が特に高く、醤油樽職人が多く住んでいた野田の地でも信仰を集めていました。
また、太子堂には野田地方だけでなく江戸などの遠方からの奉納品も多くあります。このことから聖徳太子信仰の強さばかりでなく、醤油醸造を中心として栄えていた当時の野田の繁栄振りが伺え、多くの奉納品からは、長命寺が民衆のための宗教として地域に深く根付いていたことが偲ばれます。
奉納品のひとつである「太子堂句額」は、野田地方最古の俳諧資料として平成2年に市指定文化財に登録されています。
(太子堂は毎年4月15日に公開されており、その際に見ることができます。)